白川郷。世界遺産に登録され、日本の文化を見る特徴ある萱葺き屋根であります。私はこの白川郷の位置とそこに聳える白山そして養蚕業という点から、古代朝鮮の一国家新羅との関係を考えています。
1.白川郷とは
白山郷の特徴はその合掌造りとう広い屋根裏にあります。合掌造りは冬の豪雪に耐えられる構造と、水はけを可能にしています。いつごろからこのような構造の家屋がこの周辺に出現したかは定かではないといいます。私が注目しているのは、第一にこの養蚕です。もう一つは、その背後に聳える白山です。この二つをカギにこの白川郷の正体を探ることができないでしょうか。
2.朝鮮の白山信仰
1.1 白山信仰
新羅では昔から山岳信仰があったそうです。その山岳信仰と日本の修験道との関連を指摘する人は多いです。特に花郎という青年集団の訓練や信仰にはこのような山での業が主だったそうです。これは道教やシャーマニズムと習合しているという指摘もあります。
新羅は日本では白木や白城などとされるケースがあり、白山もそのうちのひとつであると、金達寿は指摘しています。白山信仰は泰澄⁽タイチョウ⁾という朝鮮帰化氏族の子孫が開祖として崇められているといいます。帰化氏族というのは秦氏のことです。
1.2 養蚕業
秦氏といえば、まず養蚕に長け、機織り、鍛冶の技術をもつ殖産的な氏族として知られています。また、巫覡や道教的な信仰をもっていました。
この養蚕ですが、単なる殖産だけでなく、「蚕」は彼らの信仰の柱でした。常世の神としてとらえられていたのが、「蚕」でありました。死と再生を繰り返す蚕は不老不死の常世の虫だったからです。
3.渡来系氏族の定着地
最後にまとめると、こうなります。新羅系の渡来系氏族である秦氏は常世の信仰や山岳信仰をもちながら、この白川郷付近に定着した。そこにおいて、白山には山岳信仰である修験道が日本的なものと習合し、かつ蚕の常世の信仰と同時に養蚕業の技術をこの白川郷の合掌造りの茅葺家屋で殖産を展開していった。
白川郷がどのような背景があったのか、気になるところです。今後も注視していきたいところです。
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