韓国歴史・文化

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日韓交流史

【韓国の物語】親孝行、忠誠、夫婦愛。新羅の臣下、金(朴)堤上(キム・ジェサン)の物語。倭国から人質を命をかけて取り戻す。

【三国遺事】の中に新羅の17代王の奈勿王の条がある。韓国語ではナムル王といい、356年から402年という在位期間である。あの空白の4世紀での出来事か。 この王の時代に新羅は百済との軋轢から国際関係を優位にすすめようと、人質を他国に送Read More
日本の中の韓国

神功皇后おきながたらしひめのみこと(息長帯日売命:気長足姫尊)の新羅遠征はフィクションかそれとも史実か。

『古事記』を読んでいてい思うことがあった。 それは、朝鮮半島の記事が少ないということだ。 『日本書紀』に比べてである。その『日本書紀』は 仲哀天皇そして応神天皇以降から、急激に朝鮮半島の国々 百済、新羅、加羅の記事Read More
高麗

渤海(ぼっかい:발해)とは。渤海国の歴史を辿る。高句麗の末裔か、靺鞨族の一部か。渤海使は何を日本にもたらしたか。

渤海。一度は聞いたことのある国。日本に渤海使が来たなどということ。 ただ情報量はそれほど多くはない。さらに、渤海の出自はどこなのか。これが不明瞭だ。 いままでわかっている渤海の領土は今の沿海州、遼東、松花江、ロシア領(ウラジオRead More
高麗

【高麗の歴史1】朝鮮の戦国時代:後三国時代を知ろう。まずは高麗(後高句麗)を建国した弓裔(궁예:クンエ)について理解しよう。クンエは暴君か、名君か、それとも弥勒か。

みなさん、こんにちは。ファナムです。今日のファナムブログはクンエです。新羅の末期に高句麗の復興を掲げて、後高句麗(実際には高麗)を建てた人物。 ドラマ『太祖王建(テジョワンゴン)』で知っている人も多いかと思います。 しかし、実Read More
日韓交流史

【雄略天皇紀】から見る日韓交流史。百済の島王(武寧王)の出生と倭との関係。斯摩(しま)王の人物像。

武寧王(ぶねい)王。百済の武寧王(むりょんわん)のことである。。武寧王は百済を再興した王として韓国では名高い。また、1971年に偶然に発掘された武寧王陵として推測される栄山里(よんさんり)古墳の埋葬者としても、話題を集めている王である。 Read More
日韓交流史

【日本の中の韓国】高麗神社、高麗川、高麗若光(じゃっこう)を訪ねる旅。高句麗の渡来人の功績と武蔵国の繁栄。各界の著名人が称え祀る神社。

今回日本訪問に際して最も気になっていたのが、武蔵野一帯の古代朝鮮半島からの渡来人が開拓した地域であった。その中でもよく知られている、「高麗神社」。話はよく聞いていたが、実際一度も足を踏み入れたことのなかった神社だ。 埼玉県、日高市にRead More
日本の中の韓国

任那(みまな:임나)について考える。日韓の古代史の争点。韓半島の前方後円墳は何を示すのか。任那とはどこに、何を、そしてどんな役割をしたのか。交易、軍事的支援、在地豪族についての考察。

任那とは何か。今だに日韓の古代史研究では争点となっている事項である。 日本書紀に登場するが、それが何なのか。明確にはされていない。推定では、朝鮮半島の南部、加羅(伽耶)となっている。日本と韓国の古代史を考える上で避けては通れないのがRead More
朝鮮王朝史

日本の皇室と朝鮮の王族が結ばれた史実を考える。李方子様が辿った日韓両国橋渡しの礎と過去と現在。 方子様が残された日韓の未来志向への礎。

国を超えて、国際結婚する。今では当たり前で、最近は身近によく目にするようになってきた。とりわけ、この日韓関係が悪化しているにも関わらず、日韓恋愛のカップルや日韓の夫婦が増えているように思える。ほとんどが恋愛によるカップルが多いはずである。Read More
韓国歴史・文化

高句麗王女ピョンガン姫(平岡公主)とオンダル(温達)将軍の話しとは。夫を出世させた良妻の話し。

ドラマ「王女ピョンガン 月が浮かぶ川」で知られるようになったピョンガンとオンダルの物語。実際韓国ではどのように語られているのか見てみましょう。 時は高句麗の25代王・平岡王(平原王とも:ピョンガンワン/在位559~590)です。三国Read More
日本の中の韓国

源頼朝の家系をたどると、新羅三郎義光(源義光)の名がみえる。新羅三郎とはどんな人物か。どうしてこの名がつけられたか。

源義光について NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放映され、源氏、平氏、北条氏の武士氏族に注目が集まれれている。日本人は鎌倉や室町よりも、戦国武将に愛着や親しみを持っているという。 U-NEXT 大河ドラマも鎌倉や室Read More
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