【韓国歴史】統一新羅の骨品(コルプン)制という身分制度。厳格な身分制度と制限された生活。

韓国の歴史
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韓国のドラマをみていると、色の異なる服を着ていて、

それが身分によって分けられていることが見て取れる。

王様や妃はだれが見てもわかるが、他の貴族はその色だけみても

だれが偉くて、だれが身分が低いのかわかりづらい。

そこで今日は新羅を取り上げその身分の違いをみてみたい。

骨品(コルプン)制とは

まず新羅では建国当初からかなりの身分制度があったともいわれている。

そして骨品制という身分制度が本格的に始まったのが17代の奈勿王(ナムル王)からと言われている。

これは世襲制で、親の身分が生涯付きまというというものだ。

王様になれる身分は

聖骨(ソンゴル)という。しかし、この身分は消滅してしまった。なぜならば、結婚が同じ身分の人と同士でなければならない。

そうなると、徐々に近親結婚ということとなり、しまいには結婚相手がいなくなるのだ。

その典型例が善徳女王(ソンドクヨワン)である。

次の身分が真骨(シンゴル)である。ここは王族あるいわ貴族が入る身分となる。

聖骨がなくなったゆえに、王の継承はこの真骨からということとなる。

それが原因で、骨肉の争いへと発展。新羅は滅びの道を行くのであった。

次に六頭品、五頭品、四頭品とつづく。ここは

一般貴族とされ、ある程度の身分は保証されたが、不満を持つものが多く、これも新羅の弱体化を招いたともいわれている。

最後に三頭品、二頭品、一頭品であるが、ここはもともとは身分のあったところだが、平民に没落した身分となる。

どこまで制限されていたか。

さてどこまで身分制度が厳格に行われていたのか。

まず先の話しの結婚(婚姻)である。同じ身分同士でなければ、結婚は許されない。

家の大きさも、きめられていて、家を見るだけで身分がわかった。その基準を破ったら処罰される。

さらにお皿も決められていたという。金や銀の皿は六頭品、五頭品以上であった。他は真鍮といって銅や亜鉛の合金からなるものを使っていた。

そのような身分制度に嫌気がさして、

新羅の有名な学者であった崔致遠(チェチウォン)は、政界から下野して、自由気ままに学問をしながら暮らしたという。彼は唐に渡り、賓貢科という外国人の試験に合格し、唐で名声を博した人だった。唐から新羅に帰国してぶつかったのが、この身分制度だったのである。

色の違いから身分がわかる。

色別にみてみる。

まず官職の等級は17まであった。

1が一番上、17が地番下。17から1へ上がっていくシステムであるが、身分よってそれ以上上がることができないようになっている。

まず

17~12:黄色

11~10:青色

9~6  : 緋色

5~1  :紫色

といった具合だ。

すでに生まれたときから身分が決められていた。

能力があり、努力しても、相応の出世はできない。

上位の官僚は税も払うこともなく、土地はたくさん与えられ、悠々自適な生活をしていたという。

その後の高麗時代も身分制度は続くそうです。

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