【高麗の歴史1】朝鮮の戦国時代:後三国時代を知ろう。まずは高麗(後高句麗)を建国した弓裔(궁예:クンエ)について理解しよう。クンエは暴君か、名君か、それとも弥勒か。

高麗
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みなさん、こんにちは。ファナムです。今日のファナムブログはクンエです。新羅の末期に高句麗の復興を掲げて、後高句麗(実際には高麗)を建てた人物。

ドラマ『太祖王建(テジョワンゴン)』で知っている人も多いかと思います。

しかし、実際にこの王が「高麗」を建てたということについては知られていない。むしろ太祖・王建が高麗を建てたと思っている人が多いかと思います。

今回から、この高麗をシリーズでお届けしようと思いますが、その高麗を知る上で、このクンエという王やその時代背景も欠かせないと思い、今日はクンエを紹介するこことなりました。

また、日本に戦国時代や、中国に三国志があるように、朝鮮でも中国や日本にあたる、戦国時代があったという人もいます。

この時代、世直しを求め、指導者が各地に君臨します。

その一人がクンエでありその後を継いだワンゴンであるのです。

高麗がどのような過程を経て建国されたのか。ぜひ最後まで読んでみてください。

高麗とは

高麗といえば、活字印刷、青磁、仏教文化など、文化においても、注目すべきものがあります。

また、英語でのkoreaはこの時代の高麗の発音から来ているといわれるぐらい、朝鮮半島のアイデンティティーがつまっているかもしれません。

弓裔(クンエ)はどんな人物

クンエは一言でどんな人物だったか。

それは、「高句麗」を復活させた王であるといえるでしょう。

古代の三国時代、高句麗は668年に新羅に滅ぼされます。その後、新羅が半島の覇権を握るのですが、300年後、新羅は内乱となります。

一般に高句麗を復興させ、高麗を建てた人物はドラマでも知られている「王建」ではないでしょうか。

このドラマ・太祖王建では、クンエは暴君として描かれています。有名な場面で、ある臣下が「咳」をします。

この咳を聞いた、クンエ王は、

「だれが、咳をしたのか」と問い詰めます。

そしてその臣下をすぐまさま、処刑にしてしまうのです。

また、彼の夫人や子供までも、処刑に処するということまでします。

ある意味、王建がドラマの主人公ではあるのですが、このクンエがいなければ、ドラマが成り立たないほどの、注目度を浴びることとなります。

実際、史実はどんな生い立ちで、どうやって出生し、そしてどうして高麗の王になれなかったのかを見てみましょう。

弓裔(クンエ)の生涯

クンエが生まれたのは、推定で857年。そして彼は新羅の王子として生まれたというのです。

その王は47代王の憲安王か、48代王の景文王であるといわれます。憲安王は男子がいなかったので、景文王の可能性を指摘する人が多いです。

しかし、クンエは、王宮から追い出されます。なぜか

まず生まれた日が5月5日という重午。

これは後に自害するか、親に反逆するかの不吉な年だということで知られていました。また、生まれた当時はすでに歯が生えていた。これも王は不吉な予感をさせた。

それによって、

兵に赤ん坊を殺せと命じます。

兵士はその赤ん坊を殺さずに、宮殿の下に投げ捨ててしまったのですが、乳母がこのクンエを助け、都から離れたところで、子供を育てたというのです。その際に、指が目に刺さり、片目になってしまいました。

クンエは非常に気性が荒く、乳母はたまりかねて、出生の謎を話します。

「おまえは、実は王の息子だ。私はお前の母ではないんだ。」と。

クンエはこれを聞いて、乳母にもう迷惑をかけたくないと、家を出て、寺に入ります。そこでも、僧侶たちとはうまくいきません。

あるとき、カラスがくちばしに加えていた、象牙の札が落ちてきた。そこには「王」という漢字が刻まれてました。このことで彼が野望をいだく契機となったといわれます。

当時、中央の政治が乱れ、地方から反乱がおこります。その中心にたっていたのが、各地の豪族

彼らは城を中心に力や兵力を蓄えていました。当時有力豪族のヤンギルの部下となり、頭角を徐々に現していきます。

最終的には鉄原(チョルロン)というところで、国を建てて、「高句麗」(一説によると高麗)とするのです。

新羅の混乱と豪族の台頭

さきほども言いましたが、新羅の内乱がはじまり、凶作、飢餓、そして重税により、農民の反乱

さらには889年に元宗(ウォンジョン)や哀奴(エノ)を中心に暴動がおこるのです。

彼らは城主や将軍と呼ばれます。

三国時代の幕開け

その後、各地域の豪族が指導者を立てながら、領域を拡大していくのです。

それが、後高句麗新羅、そして後百済ということになります。

後百済にはキョンフォンという豪族が完山(ウォンサン)、今の全州に都を設けます。

その外にもキフォン、ヤンギル、ワンゴンなどが登場します。まるで、

戦国時代

ですね。こんな時代背景だからでしょう、ドラマ「太祖王建」も人々を引き付けたといわれるのでしょう。

弓裔(クンエ)の動向

クンエはキフォンの部下やヤンギルの部下になりつつ、徐々に頭角を現し、江原道・京畿道・黄海一帯を制覇してしまいます。この地域は新羅の勢力もあったところで、半島中部で大きな勢力を形成することとなります。当時3500の兵と14の部隊を備える有力豪族となっていました。

同時に彼は人望も厚かった。兵士を苦楽を共にしつつ、あらゆる面で公平な態度で接した。

そんな中、彼は自らが

世界が終わる日に新しい世界を導くという「弥勒」である

とし、人々もそれに呼応して、自分たちを救う指導者ではないかと思いはじめたという。

その後、穀倉地帯の鉄原に都を築き、松岳(ソンアク:現在の開城)では王建(後に高麗を開く豪族)が投降し、王建を鉄原郡太守に任命します。

クンエはこの王建(ワンゴン)を非常に信頼を置いていたといいます。

901年に「王」を自称し、ついに「高句麗」を建国しました。当時は後高句麗とはいわないのです。

名君か、暴君か、弥勒の化身か

さて彼は王位についたあと、色々な政策に仏教的な側面(仏教色)が現れてきます。

まず、904年魔震と国号を定めます。これは大東方国という意味。さらに年号を武泰(ㇺデ)とします。

906年に後百済とのサンジュでの戦いに勝利します。

そして、信任している王建を西南海に派遣し、ここでこの一帯を治めていたキョンフォンに牽制をかけます。

911年には国号を泰封(テボン)とするのですが、国名が高麗、摩震、泰封と変わることとなるのです。

これ以降、弥勒菩薩と自称します。子供も菩薩と呼ぶようにします。彼にとっては、新羅の身分制度から脱皮した平等な社会を作ろうという、ユートピアを理想としていたともいわれます。

現実的なものよりも、理想を掲げていた人物ともいえるでしょう。

幼いころ、王から捨てられたという、身寄りのない彼が到達した心境なのかもしれません。

しかし、彼が思い描いた世界とは異なる現実はそうでもなかった。そんな彼の理想は崩れていくのです。

冒頭でみた、臣下を処刑し、二人の子供まで殺し、そんな暴虐をいさめた婦人も不倫を疑い殺害するということが起こります。

結局彼は臣下から裏切られ、クーデターが起こり、918年に王位を奪われることとなります。

逃亡する中で、飢えをしのごうと、畑の作物を盗もうとしたところを、村人に発見され殺害されてと伝えられます。

謎の多い人物ですが、激動の中を、人々をひきつけ、指導者となり、高句麗を復興させたことが確認できます。名君だったか、暴君だったか、諸説はわかれますが、高麗の時代を切り開いた豪族であり、王であったことは間違いないようです。

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