今日は韓国ドラマの中でよく登場し時代背景として用いられる、二人の王について解説してみる。
中宗反正(パンジョン)によって即位
朝鮮10代王燕山君の暴政により、クーデターが起こる。それが、中宗反正とよばれる。これによって、異母兄弟であった晋城大君が中宗(1488~1544)として、18歳で11代の王に推戴されることとなる。
中宗は当初自分が王になるとは全く予想もしていなかった。宮中に波乱軍たちが入ってきたときも、燕山君が自分を殺しにきたと思ったという。
当初は王になることさえも拒否した中宗は側近とくに勲旧派の官僚によって、政治は動かされていた。反正功臣の勢力はその功績によって、たくさんの富や官位、そして土地を所有することとなった。その数は103人であり、後に70名削減されることとなるが。
燕山勲勢力の一掃
燕山君の勢力を一掃するために、中宗の正室であった貞顕(チョンヒョン)王妃は、父が燕山君の親せきであったこともあり、廃位を命ぜられる。
離縁するか、処刑するかという段階で、結局は離縁となった。
中宗と貞顕(チョンヒョン)王妃は引き裂かれ、別れ別れとなるが、王妃は中宗が自分を慕って、王妃の家の方角をいつも見ているということを聞いて、山に自分のチマ(スカート)を掲げて、王がそれを見れくれるようにしたという話しがある。
これを「チマの岩」といった。
勲旧派の台頭
このクーデターによって政治の中心派閥は勲旧派に移っていた。これは後に朴元宗の死によって、士林派へと移行していく。
さらに決定的となったのが、司憲府の大司憲の趙光祖の起用であった。彼は成均観の首席であり、急進的な改革派であった。
一説によると、中宗はこの趙光祖に頼りたい一心で起用したともいわれる。後に彼の評価は優柔不断な王であったとなる。
趙光祖(チョグァンチョ)の起用
趙光祖は様々な急進的な改革を行っていく。彼の理想は性理学を基本にした社会であった。つまり、宇宙には「理」と「気」があるが、この「理」という濁っていない心を持った人材によって、社会を統制していく。それは修養という形で成し遂げれれるというものであった。他の思想は異端として退けられる。後に士林派は内部で党争が激しくなるのはこれが原因である。
以下はいくつかの改革
1)賢良科の設置:有能で徳のある人材を推薦で登用するというもの。
2)土地の分配:均田制、一部の官僚が土地を独占せず、民衆も土地を所有できるようにする。
3)学問の討論による国の政策を決めていくこと。
4)郷約実施:地方にも教育や自治を設ける。
趙光祖の改革は挫折はするものの、これらによって、今後の朝鮮社会の基礎を作ったといわれる。
己卯(キミョ)士禍
趙光祖の改革の一つに功臣の数を減らすというものがった。これを偽勲削除という。103名の功臣の名簿を70名に削除しろというもの。
これによって富を得た功臣は多くの財産を没収されることとなる。
しかし、このことによって、勲旧派は中宗をそそのかし、「趙光祖が自分が王になろうとしている」という出まかせを、王に告げ口をするのである。
その当時、実際中宗も趙光祖の原理原則的な態度に嫌気がさしていた。それも加わって、王はその偽情報を信じてしまう。
結局、己卯(キミョ)士禍といって70名の士林派は粛清され、趙光祖も流罪となり、そこで薬を飲まされ死んでいくのである。
この時作った詩が絶命詩というもので、国や王への忠誠は父や家族を愛するようにすることだ、という内容であり、今でも韓国では語り継がれているものである。
仁宗(インジョン)と文定(ムンジョン)王后
さて、中宗はその後息子の仁宗に王を譲る。彼の母は亡くなっていた。そこで、側室で三番目の文定(ムンジョン)王妃が彼を育てる。
しかし、その文定王妃にも子が生まれる。これがのちの明宗である。
彼女は自分の息子が王になってもらいたいがために、仁宗を殺そうとはからう。
ある時は、宮殿に火をつける。仁宗は母が自分を殺そうとしていることはわかっていた。
「母、文定王妃が自分を殺そうとしているなら、その母の願いにかなえるのが息子としての道理だ。」
そう考えた彼はそのまま、火事の中じっとしてた。まもなく、父の中宗の声が外から聞こえ、ようやく飛び出したというのである。
仁宗はそう意味ではとても親思いであり、頭もよく、聖君として慕われてもいる。
しかし、その後再度文定王妃の計らいにあう。それが、毒の入った餅をわたされ、それを食べてしまい、数日後に体を壊して死んでしまうのである。
乙巳(ウルサ)士禍
その後、中宗の親せきなどは粛清され、文定王妃の息子である、明宗が朝鮮王朝の13代目の王につく。
朝鮮王朝の史実は全て、朝鮮王朝実録に記録されている。
かなりリアルであり、韓国歴史ドラマが人気を呼ぶのも、このリアルで現実の教訓を教えてくれる内容でもあるからであろう。
韓国の歴史自体がまさに激動であったことの証明でもある。また、無念の死を遂げた多くの王や貴族がいたことを忘れてはならないであろう。
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