宮廷画家キムホンド(金弘道)
朝鮮後期は朝鮮ルネッサンスといわれるほど、文芸が復興した時代だった。その中で注目されているのは、民俗画。特にシンユンボク(申潤福)とキムホンド(金弘道)の二人。作品はかなり対照的だが、庶民の姿をありのままに描くという点では共通するものがある。
今回私は、安山(アンサン)市というところにある、タンウォン(檀園)美術館に赴いた。
ここアンサン市で育ったことから、ここに美術館が開館されることとなったのであろう。今はアパートが立ち並ぶ新興住宅がであるが、そのアパートにも彼の作品が描かれているという。
それだけ、アンサン市の代表的な人物で、人々に親しまれている。
キムホンドは中人の生まれで、母方が図画署(トファソ)の役人であり、宮廷画家を輩出した家柄であった。そんな家庭環境で生まれ育った。
何よりも彼を出世させたのは、正祖(チョンジョ)王から気に留められ、自画像やファソン(華城)の行幸する絵を描いたことであろう。それが『華城行幸図屏風』である。
宮廷画家として出世はしたが、官職を離れたのち、庶民の暮らしを描く民俗画家となり、数多くの作品を残した。それが、『檀園風俗図帖』である。
朝鮮民衆をリアルに描く
書堂、射弓、舞童、農耕、相撲(シルム)、酒幕、などがある。
相撲では今にも投げたおしそうな瞬間を筆にとどめているところが印象的だ。また、周りには観衆がいて、その声までも聞こえるように描いている。
このころの絵画は単に絵を鑑賞するのではなく、その物語を読み取るということが行われていたそうだ。それを前提にキムホンドは絵を描いていることがわかる。
書堂では
教師が生徒をしかり、鞭を打ったことで、生徒が泣きべそをかいているところがわかる。生徒の泣いている表情もいいが、先生の困った顔も印象的だ。シルムと同じように、周りには子供たちがいて、表情豊かに笑っている。
キムホンドの作品を見ると、何か主人公が真ん中にいて、それを円で囲むように人が集まっている様子をみることができる。円を作るほどに、民衆が集まり、何か生活を営むということであろうか。
上記の洗濯の様子もそうである。女性たちが一緒に輪を作るように川で洗濯をしてる。川の音を想像しながら見るのもいいだろう。
そして舞童であるが、
一人の童子が踊る様子と演奏に合わせて、足や手を振り上げていることがわかる。躍動感があふれる踊る姿は、現在のKPOPにもつながる音楽やダンスではないであろうか。
日本の浮世絵との比較
日本もこのころ浮世絵が隆盛した。庶民の姿をありのままに描く画法。日本の場合は津波や富士などの自然の力が際立っているものが多い。
今回朝鮮のキムホンドの作品を見ると、一人ひとりの庶民の表情が目立つ。
みな明るくふるまっている。
表情も豊かである。
たしかに、ハフェタルという仮面劇に使用される仮面も表情が豊かだった。日本の『能』と比較してもそれは顕著だ。やはり朝鮮はそういった喜怒哀楽を表情として表す世界があったのであろうか。
それとも、そんな表情豊かな世界が理想とされていたのであろうか。
私は韓国に住みながら思うのは、韓国の人は笑ったり、怒ったり、悲しんだりの表現をよくする。
それは自然にそうなっているということもあろうが、そういう表情を表すことで、人間味を出しながら、人生を味わい深く過ごそうという意識があるように思われる。
今回このタンウォン(檀園)美術館を訪れて思ったことは、作品のすばらしさだけでなく、人々の表情の豊かさであった。人は生きていくと色々なことに遭遇する。
辛いとき、理不尽なとき、うれしいとき、踊りたいとき、くやしいとき、色々な場面で、我々は
顔に
表情
が生まれる。
これは、人間の一つの特権であり、また、コミュニケーションをすることにおいて、共感することができる唯一の信号であると思われる。
これは、人間の一つの特権であり、また、コミュニケーションをすることにおいて、共感することができる唯一の信号であると思われる。
そんな世界をキムホンドは描きたかったでのはないだろうか。
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