久しぶりに韓国に入国した。久しぶりと言っても4か月ぶりだ。
4か月という短い間にも、辺りの変化は感じられた。空港はターミナルを拡張している様子にその変化を感じられないわけにはいかなかった。
日本での生活から、一変して韓国での生活。
最も気になったのは、やはり昔の韓国人との付き合い。
途絶えていた連絡を、久しぶりにすることで、どんな態度で応対するかが気になった。
韓半島の歴史
私は最近朝鮮時代の勉強から高麗時代に移ろうとしていた。動画や資料などをみると、どうだろう。目につくのは、周辺国からの執拗な侵略や干渉であった。
ある講師は言う。もしいつの時代に生まれたくないとしたら、高麗時代だと。それほど、半島への侵略や干渉が激しい時代であった。
それが500年というから、長い間高麗はその国際情勢の中で生き残りを模索しなけらばならない。その一つの手段が「仏教」の力に頼ることであった。
高麗時代はこの仏教が栄えた時期でもある。
日本の文化が中世の茶道や禅、能に求められるように、韓国の文化を形づけた時期といえば、この「高麗時代」であるともいえよう。
一瞬の出会い
私が韓国に長い間住んでいて感じたことの一つに、韓国人は一瞬一瞬に精一杯であるということ。
何をするにしてもである。それが食事であっても、一生懸命食べるという表現がふさわしく、また人ととの会話も熱が入る。そしてそれをあまり引きずらない。というのは、一瞬一瞬にひらめいたことを、とにかく話題にし、それを長い間話の話題にしないのである。
すぐに忘れてしまうのだろうか、私は過ぎた昔の件はどうなったんだろうか。と聞きたくなるときもあるほどであった。
私の印象としては、
「今」が重要であり、未来や過去にこだわることはない。
このことは、半島の歴史と関係がありそうだ。というのは、常に北から南から、外国からの圧力そして侵略があることで、明日の生活などない。今一生懸命に生きるしかない。
この一瞬が幸せであり、輝くこと。
そこに幸福の尺度を定めていたともいえる。
韓国人は歌や踊りが好きだ。この一瞬を楽しむ手段がこの
歌と踊りであったのではないか。
そして「人」との出会いも、その一瞬を大切にする。
まさに「一期一会」の世界に通じる。
ではその後はどうなるか。
会って知り合うことで、その後はその関係は終わるのか。
ご縁は続く
縁を結ぶ。そして、その後、連絡が途絶えてしまった。
それでも、その出会いが強烈であり、深い交わりができた、となると
その関係は維持される。韓国のSNSが多くの人に急速に広まったのはそれである。
韓国がIT大国となった背景はここにある。つまり
人間関係の維持
関係性は続くのである。いや、続けたいのである。
それは、戦争で離れ離れになった家族を慕う世界にも似ている。
遠く離れた友人や家族を思う。また逢う日まで、その心は維持されるのである。
韓国は移動の歴史だ。日本は定着してきた歴史である。あまり移動はしない。
しかしここ韓国はとにかく引っ越しは多い。常に移動する。お店もすぐにたたむ。そして新しくまたお店を始める。
常に同じことはない。変化に富み、そして変化についていかなければならない。
韓国の「情」
人と別れ、環境が変わってしまったとしても、交わった「情」は残っている。
私が久しぶりに韓国に来て驚いたことは、変わらない関係であった。
だれとあっても、どこにいっても、以前のように挨拶をかわし、以前のように食事をし、以前のように交わる。何も変わらない。
そして久しぶりにあったことへの、熱い喜びの言葉と心を投げかけてくれる。
そのことは私を大きく驚かせた。
しかし、それも一瞬一瞬に素直に喜びを表しているだけだ。未来にどうなるとか、利益などかかわらない。単に久しぶりにあったことへの喜びを表しているだけである。利害関係はない。
その先に何かがあるわけではない。
きっと数か月ぶりにあったことへの一瞬の喜びと同時に、また変化していく世界への期待なのかもしれない。
今を生きることの大切さを思いしらせた、韓国訪問であった。
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