秋が深まる11月の初旬。ソウルの秋は色づいていた。この頃になると、すでに寒さが身に染みることなのに、日中は過ごしやすい。
徳寿宮に行こうと思ったのは、独立門を設計したロシア人サバティンという人物からであった。彼は徳寿宮のいつくかの建物も設計に携わったということである。
1号線の市庁駅でおりる。めったにこの市庁には来ないのだが、街はソウルの人でにぎわっていた。紅葉を見るために、徳寿宮へと向かっているようだ。
入場はたったの1000ウォン(100円)という安さ。
紅葉が色とりどりに輝いている。数々の宮殿と秋の紅葉が調和している。
まずは、高宗(コジョン)という皇帝が寝殿として使い、そこで崩御したといわれる咸寧殿にはいる。無数の出入り口があり、その門から眺める景色も抜群である。
左には中和殿大きく、迫ってくるように立ちはだかる。
その門が中和門でここで、高宗(コジョン)は大韓帝国を宣布したのだそうだ。
中和殿は何か厳かな雰囲気につつまれていて、息を飲むような気持で見つめた。
さて、そのまままっすぐに向かうと何やら、朝鮮の宮殿とは思えない建物が、高台に建っている。不思議な構造であった。何やら、幕のようなもので、まわりは柱になっている。
あれが、サバティンが設計した、静観軒だ。色もなぜか、西洋風でもあり、それでいて、朝鮮になじむそんな色づかいだ。
そう、ここで、高宗はお茶を楽しんだのである。コーヒーショップのような雰囲気。どこかロシアのデザインが入っているようだ。
さらに、その先は散歩道。
さて、大きな垂れ幕で何やら表示されている。ここは重明殿だという
重明殿は今工事中で、新しく立て直しているそうだ。そこも、西洋式の建物で近代化のシンボルのようなものだ。しかし、今回は工事中の現場だけを見て、通り過ぎた。
1905年の日韓保護条約はここで調印された。宮殿の中で行われたということなのだろう。どんな現場だったんか、気になるところである。
その後ろには、大きな西洋風の建物。これが石造殿である。そのときは新郎、新婦が撮影に大忙しだった。絵になる場所だろう。カップルも大勢ここで写真をとるのである。
いよいよ夕暮れ時、ますます、紅葉は夕日に照らされて色ずくばかり。
当時は西洋の建物も立ち並び、電話や電灯も設置され始めたという。朝鮮の近代への移行期を感じる絶好の場所が、まさに徳寿宮であった。
高宗はここで1919年の崩御するまで、この徳寿宮で過ごしたという。そのご、解体、縮小作業が続いたのである。
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