さて、私が教師として、学生の前に立つたびに思うことがあります。それは、みな不思議そうに、私を見ているその視線です。
もちろん、最初の講義では、みな緊張して臨んでいるとは間違いないのですが、毎回学期のはじめは、そのことを感じ取るのです。
彼ら学生にとっては、もしかしたら、外国人を間近でみるのが初めての人もいるのでしょう。テレビやドラマなどで、もうすでに日本の映像などはすぐに見れる時代。韓国の学生も、はじめはそのような映像媒体で、日本人に接するわけなのです。
日本人は果たしてどんな人なのか。どのように振舞うのか。
日本人とは何者か。
といった不思議さや疑問が心の中で湧いてくるのも不思議ではないのでしょう。実は私も、韓国人を直接見たのは大学生のときでしたから。
そこで、最初の私に対する態度は、先生というよりは、まさに一人の外国人。しかも、言葉が通じず、考え方や習慣が違う異国からやってきた外国人なのです。その外人が前で話している。という感覚といえるでしょう。
さらに、授業に臨む学生のほとんどは日本語ができませんから、不安もあるのです。それと同時に好奇心もありの、複雑な心境でしょう。
最初は先生ではなく、
異国の人。
これが、私と学生の関係なのです。
思い返してみると、私の大学時代の担任の先生は、法哲学を教える、イタリアの先生でした。もちろん、授業は日本語でした。しかし、完璧な日本語でないので、少し見下すこともあったのです。
正直何を話しているのかわからなかった。日本語でしたが。。。
私の学生もそのことは同じだと思います。いくら、私が韓国語で授業しても、やはり発音の正確さに限界があるものです。たまにくすくす笑ってる学生も目にしたりします。
内心は、”お前ら、日本語、英語話せんのか?”といった感じ。
語学の先生は特に学生と親しくすることも大切ですから、学生も私を一人の外国人、日本人とみるでしょう。そうなると、授業は授業というよりは、自由気ままの雰囲気になることもあるのです。
楽しくないといけない。これは外国語の鉄則。
だからか、
隣の生徒と授業と関係のない話をする。スマホだけをいじる。教科書はなくただボーとしている。眠っている。こんな感じです。
しかし、徐々に私は厳しくそして授業も授業らしく、威厳をもつように変わっていくと、学生も変わっていくのです。
私は学期の半分ぐらいが過ぎると、一度気を引き締めるためにも、大声で怒ることもありました。そうすると、どうでしょう。学生の態度は180度変わるのです。私を先生として見出すようになることが手に取ってわかるのです。
これは、韓国に来て不思議な体験の一つでもありました。
韓国では先生とくに自らの師匠だと認めると、そこからは、弟子になり、進んで先生を尊敬したり、助言を求めてくるようになるのです。
とくに驚くのは、学期の半ばぐらいに、ジュースをもってきたり、話しかけてきたり、しっかり挨拶をしだすようになることです。
男子学生は軍隊のように、腰を曲げてしっかり挨拶をしますね。そのようにされると、私も緊張ししっかりしなければという責任感が湧いてきます。さらに、韓国には師匠の日という日があります。この日に、先生に花束をあげたりもするのです。
韓国に住んで気づいたことの一つが、韓国社会が師匠と弟子の絆があって、それを生涯持ち続けているようなのです。韓国で人気があり、尊敬に値する職業として学校の教師をあげる人が多いといいます。
韓国で過ごした日々で、一番心に刻まれるのが、生徒との関係かもしれません。
私は、海外での異文化体験を推進してますが、その中でも、日本語教師もありかと思います。異文化での最前線が教師と生徒との関係であると思っています。
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