韓国のノーベル文学賞からみるこれからの人文系への未来

韓国社会
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2024年度のノーベル文学賞はアジア人女性初の女性作家である韓江(ハンガン)作家が受賞した。私も原書で数年前に『菜食主義』を読んでみた。文学作品を原書で読むことは相当な労力を必要とすることを実感した。当時も韓国では話題であったからというその一点で手に取った。韓国の文学作品が海外に紹介される。翻訳の力のすごさを知った。

あれから数年、韓国ではかなりの読書離れが進んだ。スマホやタブレットの普及だ。韓国はデジタル社会がかなり進んでいる。読書も紙の本を見るより、画面でみることに慣れているように思える。

私は大体週一回はソウルの大手の書店に足を運ぶ。書店は週末もあってか、いつも人だかりだ。そうはいっても出版社の収益は年々減少しているという。これから書籍はどうなるんだろうかといった私なりの不安があった。

このことは人文系の進学が不人気と関係があるとも思えてならなかった。

つまり、大学の文系が徐々に定員割れを始めていることである。国文学、史学科、哲学科、外国語学部などがその代表例ではないか。文系より工学系、さらには最近は手に職をと、専門職を学べるところに進学する傾向にある。

大学の文系に進学しても就職が保証されないというものだろうか。しかし、これは現実でもある。

私の勤務している大学もしかりだった。文系といわれる学科への定員割れや不人気が統計がでるから、目に見えてわかる。よって、名前をやや変えてどうにかして生き残りをかけているようにも思える。

さらに私の知っている大学では文系学部の廃止・縮小という方向で動いていた。

しかし、人間は文科系を完全に捨てることはできない。つまり、読書や書くことから、離れて生活はできないのではないか。どこかに、そんな読書生活や、書くことの生活へ渇望している姿がある。

どんな分野の専攻でも、基礎学力は読み書きなのかもしれない。

特に韓国は文学への志向が高かったと思う。だから、それを埋めるために、翻訳された日本文学に殺到していた。さきほど週一回書店に赴くといったが、そのたびに日本人作家の本がいつもベストセラーになっていたり、文学作品のコーナーを独占していたのを覚えている。

最近はカフェで読書をすることが流行っているようだ。カフェの「カ」と読書の「どく」で「かどく」と呼んでいるようだ。友達と一緒にや親子同伴で読書を楽しむというものもある。この現象も興味深い。本来韓国の人はやはり文学へ傾倒する民族性があるのでないか。と思える。

今回のノーベル文学賞をきっかけに、また読書への熱があがることは間違いない。が、悲しいが、文系への陰りは止めることはできないかもしれない。今後の大学がどのような教育機関として学びを提供していくかにもよるが、作家志望者をどう育成していくかも今後問われているかもしれない。それは大学側の問題である。では社会はどうか?

韓国はスポーツ選手やアスリートも多いが、それは一握りの選手というイメージがある。だれでもなることができないという先入観である。大学でなくても、小中学校のころから、文学や書くことに親しむという時間を持つことも有効だと思う。

私なりの考えであるが

文学や創作活動はあるテクニックというより、色々な経験を通して感受性を養うことが第一だからだ。

自然に文学に志してみたいという思い、そしていろいろな経験をすること。これが文系への光をともしてくれるはずだ。

テクニックでは測れない、人としての感受性や人間性。これをはぐくむことが人文系の使命でもあると思う。

今後の韓国の文系の動向に注目したい。

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