今日は韓国での見ず知らずの「隣人」との付き合いについて話してみたいと思う。これは、留学であっても、韓国で就職するにあたっても、非常に現実的でかつ重要な問題であるような気がする。
騒音トラブル
最近、いや数年間隣人の騒音に悩まされてきた。上階の騒音である。かれこれ10年ほどたつだろうか。最初はテレビの音。そして孫の走って飛び跳ねる音。
これらは抗議を繰り返しながら徐々によくなっていった。孫息子は近所に住んでいて、よく遊びにきていた。
上階の住人は孫のいるほどなので、きっと60代の夫婦ではないだろうか。未婚の娘も一緒に住んでいる。
上記の内容は徐々に収まったにせよ、喧嘩をする大声、足のずんずんという音、家具を引きづる音。挙げればキリがないが、生活音は仕方ないと思い、スルーしてはいる。
あまり、下の階の住人に配慮するという気は全くない、のは明らかだ。
しらばくれる
今年の夏だったか。かなり大きな音が連続して私の部屋まで響いていた。それが毎日のようにしかも、夜中響いてくる。
上階に上がり、ドアをたたく。中から婦人がでてきた。
「機械の音が下まで響いてますけど、どうにかなりませんか」
すると、夫人は、突然何かあったのかという表情だ。いや無表情だった。
「機械?」「機械とはなんですか」
「ええ、機械か何かの音が、すごいんです。なんとかしてくれますか。」
すると、彼女は
「機械じゃなくて、扇風機でしょ。扇風機がなければ、この暑さでどうやって、寝ることができるんですか。」
しかし、中から聞こえてくる「音」は扇風機の音ではなかった。その家中に響いていた。玄関先からも十分感じる大きな音だった。
「ああ、扇風機ですか」
と私は納得したように見せかけたが、実際は扇風機ではなかった。扇風機の音ではないのであった。
それが何かはわからなかったが、たしかに、大きな機械の音が鳴り響いていた。
後から気づいた。
「とぼける」ことの「うまさ」。演技がうまい。私にはまねはできそうにない。
そして、堂々と後ろめたさもない。自分の非は認めない。
その後はその「大きな音」ピターととまった。
後ろめたさがあったのだろうか。
図々しさの世界
そんな夏が終わり、秋が到来。
夜中に物を移動する音が聞こえる。それも、12時、夜中の1時、しまいには3時、4時までだ。
そんな日々が続いた。
私は眠りに落ちたと同時に、その奇妙な「作業の音」に深夜起こされる。
夜中、明け方まで、作業の気配がする。それは何とも得体のしれない「音」だ。
ときには、椅子を引きずる音が聞こえたりする。周期的にだ。
ついに、彼ら夫婦が帰宅したのを見計らって、家のドアをたたいた。
中から婦人の声がした。
「下の階のものです」
ドアは開いた。
「はい、何でしょうか」
「夜中、作業をしていませんか。その作業の音で、睡眠ができません。時には、椅子を引きずる音までします。何とか解決できませんか。」
婦人は今度も何事があったのか、きょとんとしている。
「作業って」
「ええ、何か朝まで音がするんですけど。」
「どうして朝まで作業などしますか。私たち勤め人はそんな時間の余裕なんかありません。夜はみんな寝ているでしょう。」
またもや、とぼけている。
これを韓国語で、ポンポンスロㇷ゚タという。つまり「図々しい」という意味だ。
こんな場面によく遭遇する。
そう、図々しい世界。
謝ることはない。自分の非をすぐには認めない。赤の他人には容赦ない。そして
「無視」をする。スルーをするのである。私には関係ないですね、といった素振りであろうか。
隣人は赤の他人
韓国で日本人が過ごすとき、もっとも辛い場面ではないかと思う。
日本人は隣人でも、ある程度の礼儀をもって接する。無礼な行為はしない。
他人に被害や迷惑をかけない。と意識している。お互い様だということで、隣人には気を遣う。
ここ韓国は違う。隣人は赤の他人だ。
「他人に迷惑をかけてもいい。」「もし迷惑行為があっても、自分の非は認めない。」
これは、韓国に住もうと思う日本人が、しっかり頭に刻まなければならない、現実だ。
私は韓国が好きだ。そして韓国のいいところもよく知っている。しかし、
日本人の常識からすべての行為を判断し予測すると。真逆の態度や結果が待っている。
その結果に打撃を受けるかもしれない。
一歩海外に出たら、覚悟は必要だ。「隣人は赤の他人だ」ということを。
そして、自分の生活、そして精神、さらには環境は、自分の力で勝ち取り、守っていかなければならない。
職場や知り合いは心を許したり、お互いの配慮を持って接することはある。
しかし、隣人は「まさに」他人だ。会社や組織はシックといわれ、家族意識を持つことがある。が、
隣人や通りがかりの人には冷たいことろがある。宇宙の果てにある、遠い存在なのだ。
どこかお互い警戒もしている。遠くから監視しているのではあるが。
ではどうしたらいいか。
ここからは各自の判断によるが、私の考えではこうだ。
私がふてぶてしくなり、強くならなければならないことだ。
もちろん
日本人の美徳や謙虚さは忘れてはならない。しかし、
それと同時に、韓国人に負けないくらいの、タフな精神力が備わっていなければならない。
そして、間違っていることは、はっきり、間違っていると、
口で伝えてあげなければならない。これが韓国の世界だ。以心伝心はない。
時には口論するときもあろう。しかし、これが日常茶飯事だ。
日ごろから直接思っていることを話す訓練は必要なのだ。
これは意識しなけらばできない。
言葉の世界とはこういうものだった。
親子もよく口論する。言いたいことは言っている。リスペクトはともかく。
家族の間でも、言葉をうまく操っている、ように思われる。
韓国で生活するには、「言葉」をいかにうまく使えるか。これだと思った。
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