朝飽きた。するとニュースの第一報が「戒厳令」解除のニュースだった。
正直「戒厳令」と聞いてピンとこなかった。
しかし、記事を見ると国会に軍が動員されたということで事の重大さを感じ始めていた。
国の緊急事態だった。当初は国会で起こるいつものもめごとだろうぐらいにしかい認識しなかった。
そして時間が立つにつれて、尹大統領への弾劾訴追案が浮上し始めた。
その後、国会前には弾劾を叫ぶ人々が詰め寄せていた。その数は増えていった。
その模様は朴槿恵大統領の弾劾と重なる。
しかし、私は正直そのデモの動きに見慣れていた。最近のここ数年は、ソウルの街に出れば、「大統領」への弾劾集会デモが行われていたからだ。
すでに日常になっていたこの「大統領への弾劾」訴求。
私はソウルの近郊に住んでいる。週末の楽しみというか、プレイべーとの仕事といえば、ソウルの中心街に立ち寄ることだった。そして、いつも大統領弾劾へのデモを横目で見ながら通り過ぎていた。
正直「喧騒」だなぐらいしか思われなかった。でも、集会に集まっている人たちは、国を憂いてデモに参加しているから、その真摯な行動には何も言う権利はないと思っていた。
これはこの国の政治への参加への在り方であり、政治への文化だという解釈でとどまっていた。
今回この戒厳令後の「大統領弾劾訴追」も正直普段のデモへの延長戦だとしか感じられず、特別なことはなかった。
もうこれは見慣れた日常にまでなってしまった。
それをどう思うか、どう感じるか。それさえも考えない。そんなところまで来ていた。
ただ日常生活への影響というほどのものはないが、医療従事者のストライキやこれはこのことと直接は関係ないとは思うが、地下鉄や電車のストライキである。
つまり普段我々の生活でなくてはならない領域に、不便さがのしかかっていたのは事実だった。
政権与党と野党との対立が市民にまでもじわじわとその影響が入り込んでいた。法案も通らない。大臣も罷免される。
その中心はまさに
国会議事堂だ。
そこはヨイドという漢江の中にある中州の部分だ。今は国会議事堂だけではなく、証券会社や放送局が立ち並ぶオフィス街である。
電車から見えるが、普段はそんなに足を運ばないと思う。
ここに軍は派遣された。その後、
そこは連日連夜人の渦と変わり果ててしまった。
私もヨイドには何回かは足を運んだことがあるが、めったに行かない。
でも考えてみたらここで国政が行われているのであった。
意を決して
あの日、採決の日、
今回久しぶりに行ってみた。駅から降りると、警察の誘導に従い国会議事堂の方向へ向かっていく。周りはオフィス街だ。
大通りはすでに歩行者天国なのか、それでも車は入ってくる。
なぜか観光バスが道沿いに止っている。
議事堂に向かうのも、コンサートホールやイベントに向かうような気分にさせる。
私はその人の流れにただ流されて歩いていた。両側は高層ビルに挟まれている。
どちらかというと、その高層ビルの夜景に目を奪われていた。
そのときはちょうど夕刻時だった。空を橙色に染めている。
議事堂に近づくにつれ、「弾劾」の声が空高く響いてくるのが、大きくなっている。夕方のヨイドに響き渡るように。
そのとき私は感じた。「張り詰めた緊張感」だった。
なぜか、非常に韓国という国が、韓流という甘いイメージを装っていたものが、一気に緊張した国の現実を見た思いがしたのだ。
韓国は政治と人生がかけ離れていない。もしかしたら、政治の緊張状態が生活の中にしみこんでいる。だかたいつでも政治に参加している。選挙のときだけが、参政をするのではない。政治と生活は一つだということだった。
周りを見渡すと、大人だけでない。若い学生から20代30代の若者、家族連れ、赤ちゃんも連れてきている。完全に生活の延長に政治がある。
でも、その風景はどこか「物見遊山(ものみゆさん)」ではないかとも思えてしまった。
もう何かあれば、ロウソクを抱えて、「弾劾」を叫ぶ。だれもが参加できる。
これはどこか日常の中に取りこまれてしまっている。心の底からの叫びなのか、どこか雰囲気に流されてしまってはいなか。
国会で「弾劾決議案」が票決されている中、私は国会議事堂を目の前に、もう一度一人の人として自立した自分の「考え」というものを見直す必要があると思い始めていた。
「考える」ということ。SNSや世論に流されていしまう「わたし」ではない、
「私の思考」である。
国を構成するのは「国民」一人一人だ。国民が主権である。
私という自立した考えのある行動が必要だ。
スマフォを見れば情報はどんどん流れている。目に入る。そして考えもせず判断する。
我々はもう一度人間は「考える」「思考」する存在であることを見つめてみるべきではないか。
混乱は国の政情だけでなく、もしかしたら個人の思考の混乱を招くような気がする。
世論の動向と同時に、個人個人の考えを持つことも大切なのではと思わされた。
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