1.翻訳家ダルシ―・バケットのシャロン氏通訳への驚き
韓国の人気ラジオ番組ラジオショーで翻訳家ダルシ―・バケットが出演。
その中で、今回のアカデミーショー受賞に関して、通訳の役割を強調しています。ポン監督を通訳してきたシャロン・チョイについて次のようにいいます。
本当に上手です。どのように通訳すべきかを知っている人でしょう。
ポイントをしっかり把握して通訳している。
全ての話を通訳せず、人々が記憶に残るようにしっかりポイントをついて通訳していた。
私も通訳をしたことがあるのですが、通訳と翻訳は全く違うものだ。
通訳はほんとに難しい。私にはできないです。
と、いいます。
彼は、1997年に韓国にきて、韓国滞在が25年ほどになる韓国映画翻訳家です。主にポン・ジュノ監督の映画をアメリカ人にわかりやすいように翻訳。
今回の「半地下パラサイト」も彼の翻訳でした。翻訳の力も受賞に寄与していることは間違いないのです。
彼は、この作品がアカデミーショー受賞することを、20~30%くらい可能性があったと予測したそうです。
2.ダルシ―・バケットの予想
しかし、予想はしても、アメリカでの受賞は簡単ではない。外国語部門ではとれても、監督賞や作品賞は難しいのではと予想したとのことです。
最短3時間で納品。ネイティブチェックならアイディービジネスキム・ヒョンジョンのニュースショーという番組の中でインタビューを受けて、以上のように吐露します。
ではどうして、アメリカ人にうけたのでしょうか。彼はインタビューで続けてこう言います。
まずは素材が特別だったこと。そして、エネルギッシュである。さらにユーモアまである。そんな部分がアメリカで好評だったのでしょう。
では韓国映画を翻訳するのに難しかったこととは何だったでしょうか。
やはり、食べ物を説明するのは難しいそうです。
さらに、韓国語を英語に。これが難しい。意外と形容詞や副詞などは韓国語の方が多かったり、複雑だったりします。きっと日本語もその傾向があるかもしれませんが、韓国語はそれよりも複雑で、多いのです。それを、英語に直して英語圏の人へわかりやすいように翻訳するのは簡単ではないのでしょう。
彼の苦心が感じられます。かわいいという単語にも韓国語では色々な表現があるといいます。
3.趣味から始まった翻訳
ダルシ―さんはどのようにして翻訳家になったのでしょうか。
3歳のお子さまから!直ぐ始められる子供英会話 リップルキッズパークそれが趣味から始まったというのです。
当初彼は高麗大学の英語の先生だったのです。そうしながら、彼は韓国映画にはまるのです。
その最初の作品が「八月のクリスマス」という映画でした。
これは私も好きだった映画で、何度もビデオテープで見た思いでがあります。
そのあと、映画の感想を公開したり、映画記者となったりで、完全に韓国映画を知り尽くすほどになるのです。
いよいよ、翻訳デビュー。
その作品がポンジュノ監督の「殺人の記憶」なのです。
これは、二人で共同で翻訳したといいますが、その人は韓国人の妻だったそうです。まさに内助の功ですね。
スマホで本格的英語学習HiNative Trekポン監督はダルシ―さんがこの作品がかれの翻訳歴の最初のものだとは思わなかったそうです。
ポン監督も一つ一つ丁寧に細かいところまで、翻訳をチェックしたといいます。
ダルシ―さんはいままで150の映画を翻訳してきました。
彼が言うには、翻訳のエキスパートを育てる機関があまりないのが、残念。
今後映像翻訳の専門家を育てる機関が必要であると。
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