ナムジュン・パイク。ビデオアート。私は数年前、韓国の京畿道水源(スウォン)に住んでいたのであるが、そこの近くのヨンイン市ということろに不思議なアートセンターがあったのを覚えている。そこは博物館の一つで、ペク・ナムジュンとあった。
アートというと絵画や彫刻であるという既成概念のあった私にはちょっと変わった展示作品にこれが、芸術なのかと疑うほどであった。
正直、韓国だけで認められている人なんだろうと思っていた。その作品は主にテレビがいくつもつながった状態であり、どこか古い雑貨店をみるような思いだった。それでも正直ブラウン管の中から何かしらのメッセージを伝えているように感じたことは確かである。
最近は私は「西洋美術の稲拾い」という韓国の本を図書館で手にした。古代の美術作品から始まって、現代美術に至る「美術史」の書籍だが、そこにビデオアートという章があった。ナムジュン・パイクが書かれてあったのである。実は彼は韓国ではなく、ドイツ、アメリカ、そして日本を舞台に活躍したアジア人ととして誇り高い芸術家であり世界的な芸術家なのであった。
しかも、妻が日本人、久保田成子という。とてもグローバルなこの芸術家を知れば知るほど、興味をもった。それは、このいま第四次産業革命にふさわしい作品を残していたことがわかるからである。
1.ナム・ジュン・パイク(Nam Jun Paik)とは
1932年に韓国に生まれたペクは1949 年朝鮮動乱によって、香港に家族で移住する。さらに1950年には日本へ移住しそこで、東京大学に入学。美術史学科を卒業、卒業論文は「アーノルト・シェーンベルグ研究」であった。
その後、ドイツへと渡り、ミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。彼は、美術というより「音楽」を専攻していたのである。
1963年にはブッパータールのパレナス画廊で、個展「音楽の展覧会エレクトロニック・テレビジョン」を披露した。そこでは画像を歪めたり、白黒に反転させたりという13台のテレビ受像機によるインスタレーションを展示した。それによって彼の作品は世界初のビデオアート展と位置づけられるのである。
その後、阿部修也と出会い、「ロボットK-456」を作成する。これはエンジニアとアーティストの出会いでもあると評されている。
1964年にアメリカに移住し、数々の作品を制作、展示しながら世界的に活躍する。1988年ソウルオリンピックで依頼された、「多いほどよい」は韓国の国立現代美術館に展示されている。その後も多数の作品を世に生み出し、2006年にフロリダの別荘で生涯を閉じた。
「バイ・バイ・キップリング」ナム・ジュン・パイク2.音楽と宗教
先ほどの紹介したが、彼の専攻は音楽である。音楽という分野から、アートに応用した転機は、1958年にジョン・ケイジとの出会いであったという。ジョンケイジは4分33秒の間演奏をしないまま演奏を終えるという「4分33秒」があるが、それに影響を受けたという。
その後、1962年にバイオリンを壊すパフォーマンスをしたりと芸術家の中でも異色な存在として注目され始めた。いや芸術家の中でも傍系に位置していたのかもしれない。
あるテレビ番組で中沢新一という宗教学者はペイクとの対談で、仏教との関係を述べる。仏教では座禅をするのであるが、それはリアルに物事をみつめることであると。そして、これは現代でいえば、映像化することと同じだと解説をしていた。
つまり、パイクは映像化することで、物事の本質やリアルなものに目を向けていたことがわかるのである。
さらに興味深いのは彼の作品にはロボットが多いのであるが、
テクノロジーと人間の関係をすてきな関係にする。機械を人間化する。というテーマがあるのだ。これは、今AIが人間とコミュニケーションをとりつつある時代に示唆できる先見性のある作品を数々生み出していたこととなる。それはAIと芸術の接近なのである。芸術を独立したものとせずに、現実の生活に組み込んでいたことがわかる。これはすごいことなのであった。
3.スマートフォンとコミュニケーション
さらに彼は、世界を衛星でつなぐことを試みる。それが
「テレビ」である。
テレビというものの存在を人は勘違いしているというのである。人々はただ単に受け身の姿勢で見るだけにこだわっている。しかしそれは違う。お互いが相互の関係性を生み出すことが「テレビ」の目的だというのである。そのように考えた人がいたであろうか。
そういえば、私が韓国のアートセンターでみた、数々のテレビ。
彼は小型のテレビで人々がコミュニケーションするために「テレビ」は使われなければならないという主張していたのである。
これは、スマートフォンを見据えてのことだったのであろう。
作品は、「お互いが通じあうことが必要だ」というのである。芸術の目的。それは、人々がより結びつきあえる温かいものだ。一人作業室で、あるいは画廊で独創的なものを生み出すことだけではない。
ある人は彼を「東洋の文化テロリスト」と名付けていた。
芸術も楽しむこと。
奇抜なアイデアと未来への先見性。
韓流も今やテクノロジーと芸術に注目するときが来たのかもしれない。
1995年のインタビューでパイクは次のようなことを話した。
「韓国が国際的に進出できる分野は、音楽、舞踊、などの時間芸術である。」今までは視覚や空間の芸術が主であったが、時間芸術を展開したことに彼の独創性があったのであろう。
私たちは韓流とは時間的芸術にそれを見出すことができないであろうか。
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