1.日本人は信じられないよ
数日前に私はこんなメッセージをもらった。それは、
「やっぱり、日本人は信じられないよ」
これは、私が1か月ある文化センターに通っていたことから始まったトラブルである。私にとってはトラブルでもなんでもないのであるが。
経緯はこうである。
韓国の歴史を学ぶ講座であった。それを教えるのは元大学教授(自称)で引退されて、今は文化センターなどで講義をしているらしい。講義の内容は日韓関係の通史で、百済が日本に渡来してきたその後裔が今の日本を作っている。韓国は儒教による統治で高麗や朝鮮は長い間政権を保つことができた。これは世界に類を見ないものである。日本文化は侍文化で、刀だけをもって人を切りつけるだけのことしかしない。
これが、講義の内容であり、案内されたパンフレットの題とはかなりかけ離れていた。それについては不満もあったが、お金も払ったことだし、4週(週1回の講義)という案内のもと受講は続けていた。4週が終わり、仕事も忙しくなってきたこともあり、これ以上受講は無理だと考え、
丁重に、「これ以上、受講は難しそうです。また時間のあるときに、受講をします。」と丁寧にメッセージを送った。
その後、帰ってきた言葉が、「やっぱり、日本人は信じられないね。」という言葉であった。これにはかなりショックを受けた。
そして
「長い間受講すると思って、教材も売ったのに、もう辞めるならば、教材は返却してもらいたい。」ということであった。
再受講しないことが、どうして、このように非難されなければならないのか。しばらくの間、考えに考えたのだが、答えは見つからなかった。
教材は返却し、文化センターにはこのようなことがあったことだけ、報告した。職員はこのメッセージを受講生に送ることに対して、あってはならない行為と判断をしていた。
2.どうして信じられないのか
とにかく、私としては気分はよくなかった。しかし、ここで
どうして、「日本人は信じられない」という言葉が出てきたのか。
すこし、分析をしてみたかった。
彼(講師)は私が一度受講したことで、長い間勉強してくれると思ったのであろう。これは、どうも韓国的な考えなのかもしれないが、一度講師と生徒との「ご縁」を結んだのだったら、すぐにはやめることはないだろうというのが、韓国人特に、年を言った人の感覚なのかもしれない。
特に、先生という立場の人は絶対的な発言力と影響力があるようだ。生徒の立場は、無条件従うという公式があるかのようだ。特に、大学や大学院はこの力学はすごいのである。
文化センターであろうと、個人レッスンであろうと、こんな力学が存在しているかのようだ。
私が4週でやめることは、到底信じられない
「行為」であったのだろうか。
きっと講師としては、自分のもっているスキルをすべて教えたかったということもあるだろう。
ほとんどが、「反日」的な内容ではあるが。
つまり、
日本人は韓国の歴史を知らない。だから、「この私が教えてあげなければ」と意気込んでいたのであろう。
そんな中、もう受講はしません。ときたから、失望したというのが、私なりの推測である。
それだけではない。
もっと、根深いものがある。それは、韓国人のもつ、「日本人観」ではないか。
3.韓国の日本人観の定着
韓国人にはある一定の「日本人観」がある。
これは韓国人として生まれたなら、かならず持つだろうイメージみたいなものである。
それが、
「外見の表情」と「内面」が違う。つまり
表面的にはとてもいい顔をして、親しくしながら、何でも「はい、はい、OK」といいながら、内面では「そんなことを微塵にも思っていない、そして裏切る」
というものであろうか。
ある言語学者が「うちとそと」という本を書いていたことがある。
「うち」という心の中と「そと」という外面が異なっている。日本人の言語文化にはそれが強く表れているというのである。
韓国人が思う、日本人観は様々あるが、この裏と表の違いをイメージとして持っている人がいる。
彼もそれを思って、「信じられない」という言葉を発したと考えられる。
4.韓国にとっての日本人とは。
韓国にとって日本人とは何か。
これは、イメージによって作り上げられているところが多いのではないであろうか。
よいイメージもあれば、悪いイメージもある。
これを知らずに韓国人と接することは、韓国人の口から以外な言葉が発せられて、当惑するかもしれない。日本人が韓国に住むにあたって、
ある程度の覚悟は必要である。しかし、黙っていてはいけない。
もし、自分と関係のないことで、この人は日本人だから、「こうだ」というステレオタイプ的に言われ避難されたら、はっきりと相手が間違っている偏見だということを、主張しなければならない。
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