韓国社会は「言葉」をうまく操る人が世渡り上手か。雑談力と話術<韓国生活コラム>

韓国の生活
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 私は韓国の大学で教鞭をとるようになりました。大学で教鞭をとる中で、中々慣れないことが一つありました。それは、学生の「雑談」です。彼らにしてみれば、それが普通なのかもしれないのですが、私が見る限り、雑談でしかなかったのです。

 私が、当初教団に立って話しているときに、授業とは全く関係ない話をしだしたり、ふざけ合ったりしているのを見るたびに、不快に気持ちになりました。先生を無視している、ばかにしている、といった気持ちになるのです。

 そんな授業の雰囲気で、学生を授業に集中させることは、かなりのエネルギーが必要とされました。そのために、あらゆる工夫をし始めました。授業の準備はもちろんのこと、機材の導入そして、教授法の研究などです。

 「雑談」ということに関しては、これも韓国人の性格を表す一つだと気づいたことがあります。つまり、「おしゃべりがすき」なのです。比較的日本人は話すことよりも、聞くことを重視するように思います。しかし、韓国は聞き上手よりも、話すことに長けている人が、認められたりしますし、現に話し上手かと思います。。

 それは、公式的なスピーチもそうですが、日常の会話での中においてもそうなのです。つまり、カフェなので友達同士、知り合い動詞話すことにおいても、「話し上手」や「話術」が発揮されるのです。私が見る限り、話すことで相手に納得してもらうことがとても重要なこととして、捉えられていると思うのです。相手を納得させる話術を備えているようです。

 街を歩き、食堂やカフェなどでも、よく話しているカップル、家族、友達同士を見かけます。一人で、ポツンとたたずんでいる人はあまり見かけないのです。常に、誰かといて、何かしら真剣に話をしています。

 そういう意味で、話すことが好きな民族であることは間違いないようです。言葉で相手を納得させたり、または攻撃したりもします。

 よく、道端で喧嘩をして激しい言葉づかいをし始めても、手をださないという話もあります。「言葉」で相手を負かそうとするのです。韓国で生活しながら、よく目撃したのが夫婦喧嘩でした。そんな夫婦が喧嘩をする場面を見るたびに、喧嘩が絶えないなと不思議に思ったことがあります。それは話すことを重視することから、自分の気持ちがすぐに言葉となって発してしまうのかと考えられます。

 それと関連して、授業もそうなのです。韓国では、教師が一方的な講義形式や、学生がじっとしている授業はつまらない。退屈してしまうのです。発言をさせたり、活動をさせることが、彼らには適当なのです。

 授業態度に関して言えば、受動的というよりは主体的で活動的です。自らが何かを主体的に行動したり、発言することを望んでいるのでしょう。教師が一人、教団で話して、学生は静かにメモをとるということは、もう時代遅れなのかもしれません。またそんな雰囲気は彼らには退屈してしまうのです。

 そのような経験から改善点を見出し、授業はなるべく、学生に発言させたり、教師と学生がコミュニケーションをとれる、授業をすることに転換しました。それでも、雑談がなくなることはありません。しかし、そのような経験をしながら、韓国人の気質などを垣間見ることができたようです。 「言葉」をいかに発するか。これが、韓国社会で要求されるスキルかもしれません。外国人であっても、言葉がうまくなければ、無視されるのです。反対に、言葉が巧みでなければ、淘汰されてしまう社会かもしれません。韓国で暮らすことで、「言葉」の意味を再確認したようです。

 朝鮮時代には派閥の争いなどで、党争が絶えなかった時代。まさに熾烈な理論のぶつかりあいが絶えることがなかった言います。そして、もし論争に負けたら、島流しや追放されたりする。よって、言葉巧みにならざるをえない。刀や武器よりも「言葉」が最大の武器なのかもしれません。強さや賢さは面と向かって話すところから始まるのでしょう。

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