韓国学生の日本での文化体験から見られる韓国人の食文化とその意識。シック(食口)ということの意味。<韓国生活コラム>

韓国の生活
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今日は私が職場で国際交流の業務を担当しながら、見聞きし経験した韓国学生の日本研修に関しての内容を綴ります。最後までお付き合いください。

1.食文化体験

 韓国の学生に日本に行ったら何をしたいかを尋ねると、食べ物という答えが多い。すし、ラーメン、お好み焼きなどが挙げられる。私は日々韓国の学生からこのようなことを聞くので大体の日本食は韓国の若者の口に合うものと漠然と信じてきた。最近では韓国にもあちこちに日本食のチェーン店が軒を争って繁盛しているのを見てもそれをうかがわせている。

 2017年の夏の研修では鹿児島と宮崎で一ヶ月の間日本文化研修が姉妹校の多大なもてなしのもと行われた。韓国学生は19名。初日の歓迎パーティでは日本食がもてなされた。私は韓国生活で恋しくなっていたその伝統的な日本食を見るや感動し、食べることに夢中になってしまった。そして、一緒に同行していた引率の先生を見るとその先生も感動のあまり絶叫していた。その先生はホテル外食調理科の洋食専門の方であり、料理にはうるさいはずである。その方がそこまで感動するには、やはり韓国人は日本食は口に合うものと確認した思いであった。学生ももちろん食が弾んでいると思って、19名の方を観察していた。

 しかし、私には学生の食が進んでるとは写らなかった。つまり、一つ一つ慎重になりながら、食べている姿である。ある学生は写真を撮ることに夢中であり、またある学生はおかずに手さえつけないのである。実は、これらの日本食を韓国では味わったことのないゆえにもてなされた食事は生まれて始めての出会いだったのである。

 私は引率という立場にあるゆえに、食事に目を奪われながらも、何とかその日本食のすばらしさを知ってもらおうと解説をしながら、学生に理解してもらえるよう気を配ったのである。次々に出される食事。その時間はある意味日本食の文化体験でもあった。体験であるがゆえに、食を通して日本の文化に触れるという意味があった。それでも、私の期待は学生がみな食事をおいしく残さず食べてくれることであった。また、姉妹校の配慮に報いたいという気持ちからもそんな思いを抱いたと思う。

 さて、歓迎会が終わりを向かえ、宿所の部屋にみな戻っていった。私は最後にテーブルを見て回った。すると、食事は残されているのである。食事の量が多かったり、女子学生が多かったせいもあったであろうが、私はその光景は以外でもあった。なぜならば、韓国の若者は日本食が好きであるという観念があったからである。

2.日本食生活のスタート

 いよいよ日本でも研修がはじまる。前半の研修は朝と夜の食事は寮内で提供してもらうことになっていた。特に朝は決められた時間に食事が準備されているので、その時間に合わせて起きてこなければならない。朝の弱い学生にとっては大変な日程でもあった。また、学生たちは夜更かししているので、朝起きてくるのは大変なのであった。

 食事は一人一人盛り付けられて配られた。メニューは朝食としては贅沢なほどバランスのとれた食事であった。同行した韓国の先生はそのメニューを見るたびに感動し写真を撮っているほどであった。

 初日はよく食べていた。しかし、研修の日数が経過するごとに食が進まなくなっていった。朝食は食べない人まで出てきた。日本の味付けに合わない様子であった。そして、結局韓国料理が恋しくなってきたのである。

 土・日は自由時間であった。彼らは一様に韓国料理店を探していた。私たちの寮は市内から少し離れていたためバスと電車を利用しなければ行けないところであった。週末は自由に行動する時間であったので、彼らは市内に遊びにいくことを希望する。それも一つの文化体験である。最初の一周目の週末は行きたいところを自由に探し当てて回っていた。彼らの目当てはやはり日本食や日本のデザートであった。私は数名で構成されたグループごとに課題を与え日本人と会話をしたり、あいさつなどをしているところを写真で撮って送ってもらうようにした。大体の写真が食堂で撮ったものが多かった。

 二週目の週末である。彼らは自分たちが行きたい所を話し合っていた。話題に一番多く持ちあっがったのが、韓国の食べ物屋さんが市内にあるかどうかである。辛いものが恋しいのである。韓国料理にありつけなければ、辛い中国料理を代わりに食べていた。どうにか韓国料理店を探しあてたグループは昼食をそこでとることになっていた。私は週末ということもあって、学生を見送ると美術館や文学館といったところを自由に歩きまわっていた。突然学生から連絡が入った。韓国料料理店は閉まっているというのである。私はなすすべもなく、彼らの失望感をくみ取り、何か他の手段でもないかと考えを巡らせていた。結局それ以降も韓国料理をたらふく満足に食べるという機会はなかった。

 私とその引率の先生は、夜中30分ほど離れた駅まであるき、その駅前のスーパーでキムチをたくさん買って食卓で分けた。また、姉妹校の計らいで、焼き肉店で食事会が設けられた。その時は、水を得た魚のように焼き肉を頬張っていたことを今でも忘れられない。

ある学生の言葉である。

「韓国の食事を食べないと力がでないんです。」

海外旅行から帰ってきて空港で真っ先にキムチチゲを食べるとよく聞いたことがあるが、そのことがよく理解できるようになった。

3.同じ釜の飯を食す

 私は数ヶ月経ち振り返って思ったことがある。それは、食事の形式であった。日本では一人一人食事が盛り付けられ、自分の食事というテリトリーが決められている。日本での日々の食事形式は一人一人盛り付けてあり、運ばれてくるというものであった。当初は私はそれに特別なこととして考えることがなかった。韓国に戻って韓国での食事のスタイルに触れながら、ふと思ったのである。すべての食事ではないが、韓国は「同じ釜の飯を食する」傾向が強いことをである。特に焼肉はもちろんではあるが、汁物やキムチなどの惣菜類などは一緒の器に盛られるのである。だから、一緒に食べているという感覚はある。

 そういった、食生活から日本での一人一人盛られている食生活はいったいどう映ったか気になるところではある。やはり異文化体験をしたと思われる。

 さて、食事の話ではないが、当初私が心配していたことがあった。それは、韓国からの学生はお互い異なる学科から参加しているため、まず他国の文化や学生と親しくなる前に参加する学生達の間でどううまく疎通してくれるかであった。さらに、部屋が一人一人割り当てられるのではなく、相部屋で3~4人一緒に生活するものであった。

 さて、その結果どうであっただろうか。彼らは日増しに口数が増え、お互いぎこちない雰囲気はなくなっていた。夜などは、予想はしていたが、毎晩のように遅くまで騒いでいた。

 お互いが近くなる要素として色々考えられるだろうが、私は今になって思うのである。それはやはり食事をともにしたことが大きいのではないかと。つまり、彼らは「同じ釜の飯を食う」ことで近くなるのである。また、その感覚を味わうためには、各自で食事を取るのではなく、一緒に食べ、そしておかずなどは一緒の皿で盛り付けられていることで何か一体感を味わうのではなかろうかと思った。

 しかしながら、どうであろうか。日本では特に各家庭では一人一人おかずが盛られている。その研修でもありがたいことに、食事を給する人が真心を込めて一人一人にお皿を準備し、食卓に並べてあるのである。このおもてなしに驚いたであろう。

 それでも、いつも食事は決められた時間に取るようになっていたので、それゆえに彼らの関係は近くなっていたのであろうと思う。改めて、韓国の食文化が「同じ釜の飯を食う」という前提のもとに構成されているのであると気づかされたのである。そして、それによって、人間関係を作り、そして維持していこうとしているのであろう。

 韓国ではよく、シック(食口)という言葉で家族はもちろん会社や組織の構成員を呼ぶことがある。これも「食」と「口」で同じ食べ物を「口」で食べるという意味から「同じ釜の飯を食す」意味と同一であろう。

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