日本の皇室と朝鮮の王族が結ばれた史実を考える。李方子様が辿った日韓両国橋渡しの礎と過去と現在。 方子様が残された日韓の未来志向への礎。

韓国の歴史
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国を超えて、国際結婚する。今では当たり前で、最近は身近によく目にするようになってきた。とりわけ、この日韓関係が悪化しているにも関わらず、日韓恋愛のカップルや日韓の夫婦が増えているように思える。ほとんどが恋愛によるカップルが多いはずである。

今日ここに紹介するのは、日韓の皇族同士の結婚である。もちろん自由恋愛ではない。当の本人には知らされてはいなかったといわれる。日露戦争以降、日本は韓国の内政に干渉し、最終的には併合条約を結ぶ。いわゆる日本による韓国の植民地化である。

朝鮮(大韓帝国)の皇帝は高宗(コジョン)。しかし、強制的に退位させられ、その跡継ぎであった純宗(スンジョン)が皇帝となる。彼には子供はなく、異母弟の李垠(イ・ウン)がその跡継ぎ(王世弟)が皇太子となるのである。

この皇太子の李垠(イ・ウン)と結婚したのは、朝鮮の王族でもない、日本の皇室の娘であった。

運命とはよくいうもので、自分の意思とは関係のないところで、決められていく。我々も振り返ればそんなことが度々あるのではないだろうか。

運命とはよくいうもので、自分の意思とは関係のないところで、決められていく。我々も振り返ればそんなことが度々あるのではないだろうか。

ところで、そんな運命を甘んじ、受け入れがたい人生をしっかり前向きにとらえて生きていくことができるだろうか。

それは文章や口では簡単に言うことはできるが、直面したときには、天や神、周囲そして自分の生い立ちをもうらやみたくなるものではないだろうか。

ここに紹介するのは、朝鮮の皇族と婚姻がなされ、その現実を受け止めようと努めた、一人の日本の皇族の娘、李方子を紹介する。

人質としての留学か

皇太子李垠(イ・ウン)は日本に留学をする。伊藤博文がさせたという話しもある。彼の日本留学は日本に都合のよいようにするため、つまり人質であるといわれる所以である。いずれにせよ、朝鮮の王族の子息を日本に迎えるのである。

それは日本の皇族に迎えさせるためなのであろうか。非常に不可解な出来事ではないであろうか。それは朝鮮の王族を皇族に認めさせることで、皇族の断続を防ごうとしたとみることもできる。いや逆で、朝鮮の王族の断絶を防ごうとしたのであろうか。

日本の皇族が嫁ぐ意味

その皇族の娘とは梨本宮の長女、方子様である。彼女は裕仁親王の妃候補でもあった。しかし、彼女の専門医は不妊娠と診断。そんなこともあって、彼女を嫁がせる皇族を探すこととなる。最終的には李家がその家系であったのであろう。

皇族が朝鮮の王族に嫁ぐ意味はどこにあるのだろうか。

日韓が王族を中心に結ばれていく。不思議な縁としかいいようがない。

1918年正式に方子さんと李垠(イ・ウン)の婚約は決まった。そんな折高宗が脳溢血による死の知らせが舞い込んでくる。毒殺説も流布する中で、方子様は罪悪感を持ったともいわれる。

韓国のオモニ(お母さん)となる

1921年、第一子(晋)が誕生する。不妊娠と言われていた方子様には計り知れない喜びであった。1922年その晋をつれて、朝鮮を訪れるのであるが、帰国直前に晋が急逝してしまう。その時の悲しみはいかばかりであったであろうか。

一説によると毒殺という。

戦後は王皇族の身分は喪失し、1952年の日本主権回復によって、日本国籍をも喪失した。在日朝鮮人という身分となる。李承晩大統領の王政復古に対する警戒心もあり、韓国入国は認められなかった。

日韓の架け橋

1961年に朴正煕(パクチョンヒ)大統領の下、韓国国籍が復帰されることとなり、夫妻はようやく韓国の地を踏むこととなる。そんな中また悲劇が起こる。夫の李垠(イ・ウン)と1970年に死別する。

方子様は韓国に帰化し、李垠(イ・ウン)の遺志を引き継ぎ、障害児教育に携わる。まさに韓国のため、韓国人のために生きる道を選ぶのである。

彼女は資金集めに奔走し、知的障害児施設そして知的障害養護学校「慈恵学校」を設立する。韓国政府からは「牡丹勲章」が授与された。

まさに韓国のオモニ(母)となったという評価が与えられるほどとなる。

近代から現代への転換のなか、二つの国は近代という命題を背負いながら、苦心していた。日本は西洋文明を受け入れ、列強の仲間入りを果たした。隣国の朝鮮はどちらかというと、西洋の文化を邪な文化として捉えていた。この二つの捉え方が、隣国でありながら、敵対する関係になっていく。皮肉にも、その両国の皇族は婚姻関係として結ばれていくのであった。

方子様はこの反日という過去の歴史を韓国のオモニになることで、日韓の未来志向への礎を築く実績を残してくれたのではないか。

さらに、人生とは自分の思いどおりにはいかないときがある。それをどう受け止め、前に進み、自分なりの使命や役割を見つけていけるか。

それを教えさせてくれる李方子の生涯である。

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