トピックブログはこちら!
人生を豊かに!

日々学び、旅をし、
芸術に浸る、
そんな豊かなライフを
追求しませんか。

韓国人気コスメ

日韓古代史を考える。韓国(からくに)の「カラ」とは何を意味するか。

朝鮮韓国の歴史文化
韓国語ワンコインレッスン
Pocket
Facebook にシェア
LINEで送る

私たちは韓国を現在は韓国(かんこく)といっている。しかし、古代の文献、特に「古事記」ではこれを「からくに」と呼んでいる。今日はこの「からくに」という時の「から」とはどんな意味をもっているのかを考えてみたい。

「カラ」というとき、、唐、韓、漢の字を当てることが多い。ある特定の国を指すというよりも、外国を総称して言うことが多い。では本来「カラ」ということばは何を指していたのか。まず江戸時代の国学者である本居宣長はどのように考えていたかを見てみる。

1.本居宣長の「カラ」解釈

『古事記伝三十之巻』には屯倉を解釈しながら、三韓のことに触れることになる。ここで任那、加羅に言及し次のように述べる。

 “加羅國と云は任那の舊名(モトノナ)にて、崇神天皇の御代に、外国の始て参りしは此國なり、故西方諸外国の大名となりて、三韓をも、(モロコシ)國をも、みな加羅と云なり、”

 加羅國は任那の元の名であるが、崇神天皇の時代に外国から初めて渡来したことを指摘しつつ、その後は西方の諸国を一括して三韓つまり、馬韓・弁韓・辰韓と中国をみな「カラ」と呼ぶようになったという。

 “然るに此をただ三韓のみに限られる名と心得て、漢國などを然云を誤りなりと云は、中々に非なり、萬葉十九に、漢人とも見え、又同巻に、遣唐使のことを、韓國()(ヤル)とも、韓国爾由伎多良波之テ、ともあるなどをば知らずや、”

 三韓に限定して、漢國といえばそれは誤りだというのはおかしいと指摘する。萬葉集には漢人と書かれ、その同じ巻の遣唐使については韓國となっているのがその証拠であるという。宣長にとっての「カラ」は朝鮮半島を指す「韓」というよりは外国を総称する特に「漢」の意味合いが強かったことがわかる。つまり、「カラ」は「韓」とイコールをなさないことがわかる。

 私たちは「カラ」というとき、加羅がカラと読むので、「カラ」のもとの意味を加羅國から求めたくなるのである。しかし、それほど単純なことであろうか。「カラ」を「加羅國」と同一などだということをもう一度再考することはどうかと思う。

2. 「カラ」の使用事例

 では、「カラ」がどのように使われ、どのような漢字が当てはめられてきたかを考えてみることにする。まずは『萬葉集』の例をみてみる。

 “懸けまくは あやに畏し (たらし)()() 神の(みこと) 韓國を ()(たひ)げて 御心を 鎮め給ふと い取らして 斎ひ給ひし 眞珠なす ……”(巻五・八一三)

これは神功皇后の新羅へ向かったときに、真珠のような石を褒めたたえる歌である。ここでの韓国とは加羅ではなく、新羅であることがわかる。

 “…… 韓国[可羅久爾]に 渡り行かむと (ただ)()かふ 敏馬(みねめ)をさして (しほ)待ちて ……”(巻十五・三六二七)

 “天皇(すめろき)の (とお)朝廷(みかど)と 韓国[可良国]に 渡る我が()は 家人(いえびと)の (いは)ひ待たねか ……”(巻十五・三六八八)

 “昔より 言ひけることの 韓国[可羅久爾]の 辛くもここに 別れするかも”(巻十五・三六九五)

この三首は遣新羅使に関するものである。

 “…… 韓国[韓国]の 虎という神を 生け捕りに ……”(巻十六・三八八五)

 “大舟に ま(かじ)しじ()き この()()を 唐国[韓国]へ遣る 斎へ神たち”(巻十九・四二四〇)

 “唐国[韓国]に 行き足らはして 帰り()む ますら(たけ)()に ()()(たてまつ)る”(巻十九・四二六二)

この二首は共に遣唐使のことであり、「から」とは「唐」のことを指していることは明確である。これは宣長も随筆集の『玉勝間』三之巻「もろこしの国をからといふ事」で『萬葉集』を引用しながら、次のように主張する。

 “ある人、もろこしをからといふは、ひがごと也、からは、三韓のことにこそあれ、といへるは、中々に誤也、……又昔よりからに唐字を用ふるも、常の事なるをや、”

 ある人が中国を「から」というのは誤りであり、三韓こそが「から」であるといっているが、それは間違っているのだという。昔から「唐」の漢字を使ってきていると述べる。

 「カラ」というとき、加羅を指すことよりも、新羅や唐を指していることが理解できるのである。では新羅が朝鮮半島にあるから、「カラ」といっているのではと考えられるかもしれない。しかし、当時どれだけ、新羅イコール朝鮮半島と考えたであろうか。ここにおける新羅の「カラ」も一般的な外国という意味でしかなかったように思われる。

工事不要!カンタン置くだけインターネット【SoftBank Air】

 次に『日本書紀』の「韓国」が登場する箇所を挙げながらその意味を見てみることにしよう。

 “()の時に(あた)りて、吾子籠、(から)(くに)(つかは)わされて(いま)(かへりまうこ)ず。(ここ)に大鷦鷯尊、淤宇(おう)(かた)りて(のたま)はく、「(なむぢ)(みづか)ら韓國に(まか)りて、吾子籠(あごこ)()せ。其れ日夜兼ねて(すみやか)(まか)れ」とのたまふ。乃ち淡路の海人八十(やそ)を差して水手(かこ)とす。爰に淤宇、韓國に住りて、卽ち吾子籠率いて(まうけ)り。”

応神天皇の崩御にともない皇位継承問題が生じる。本来即位するはずの 太子()(じの)(わき)郎子(いらつこ)が大鷦鷯尊に皇位を譲ることを主張して即位を辞退した。そこで皇位継承を狙う額田大中彥皇子が倭の屯田(みた)屯倉(みやけ)を支配しようとした。大鷦鷯尊は倭直(やまとのあたひ)の祖麻呂に「倭の屯田はもとより山守(やまもり)(ところ)というが、これはどうか」と尋ねると、「私は存じ上げませんが、弟の吾子籠が存じ上げております」と答えた。

この時、吾子籠は韓国に遣わされていて、まだ帰還していなかった。そこで大鷦鷯尊が淤宇宿禰に言うには「お前は自ら韓国に行って、吾子籠を連れてきなさい。昼夜兼行で急ぐように」という。

淤宇宿禰は韓国に行って吾子籠を連れて帰ってこさせて、山守の地の所有について確認したという話しである。

 吾子籠が韓国にいるのであるが、吾子籠が実際どのような人物なのか、特定するには容易ではない。あくまでも伝承上の人物という可能性は高い。吾子籠と朝鮮半島との関連の記述が多くない中、吾子籠が韓国に遣わされていたということをもって、朝鮮半島と位置付けことはできるであろうか。韓國を朝鮮半島と断定することはできない。国内外を問わず、遠方を単に韓国としている可能性もある。

 『日本書紀』における加羅國の人が日本に帰化したという記事で引用されるのが、垂仁紀における都怒我阿羅斯等の帰化の記事であろう。

 “()()()天皇の世に、(ぬか)に角有ひたる人、一の船に乗りて、越國の()(ひの)(うら)に泊れり。故、其處を號けて角鹿と日ふ。問ひて日はく、「何の國の人ぞ」といふ。對へて日さく、「()()加羅国の王の子、名は都怒我阿羅斯等、亦の名は()()()()()()()(かん)()と日ふ。傳に日本國に聖皇(ひじりのきみ)有すと(うけたまは)りて、歸化(まうおもふ)く。”(上・二五八)

 都怒我阿羅斯等が日本へ帰化した内容である。どこからか。彼は意富加羅国の王の子であると述べることから、「加羅」つまり南朝鮮にあった「伽耶」からの渡来ということになる。実際「伽耶」といっても諸国連合であり、どこの地域を具体的に指すかはわからない。ここにおいても、加羅ということで、一定の地域を指すことよりも、外国一般を指すという意味が込められていると思われる。

 加羅が「伽耶」からとったということにあったとしても、すでに加羅に具体的な地域を示すというよりも、日本から見て遠方、海の向こう側といった意味があり、それが中国・朝鮮半島を含めた外国の総称になったとも考えられる。

3.「カラ」の語源について

 まず「カラ」を考察するにあたって、「カラ」というとき一般には加羅という表記を用いることが多い。そしてこの加羅はある一国のみを指して表記しているようにも誤解されやすい。新羅や百済のようにである。しかし、まず、我々が認識しなければならないのは、「伽耶」に相当すると言われる「加羅」とは一国に限定することはできないのである。つまり、「伽耶」とは朝鮮半島南部の諸国連合やその諸国を汎称して使われるだけなのである。

『三国遺事』では五伽耶として「阿羅(あら)伽耶・古寧(こねい)伽耶・大伽耶・星山(せいざん)伽耶・小伽耶」を記載している。これらは現在の「咸安・咸昌(ハムチャン)高霊(コリョン)星州(ソンジュ)固城(コソン)」にあたる。「伽耶」とは小諸国を指していて、特定の地域を指していないことである。つまり、「カラ」という言葉はとても曖昧であるということも理解できる。

 しかし、いくつかの「伽耶」の中で、国家的な体制を整えたであろうと言われる大国は二つを挙げられる。一つは今の高霊という地域にあった大伽耶であり、もう一つは今の金海にあった金官伽耶の二つである。この二つの内一つを指して「カラ」としめしていたということも考えられるであろう。しかし、これとても未だ、明らかになっていることはない。実際『日本書紀』では任那という文字を使って示しているからである。「カラ」は中々特定しづらいのではないだろうか。

 このような事情を考慮するとき、日本においても「カラ」を使うことにおいては、特定の国や地域を指すことはなかったということも考えられる。つまり、「カラ」というだけで、外国の総称としてもちいるのに便利な言葉であり、「カラ」というオトが徐々に外国風という意味合いを持つことになったとしても不思議ではない。

 では次に、「カラ」の語源についてみてみることにしたい。まず「冠弁」説がある。これは伽耶諸国の前身である「弁辰」の「弁」が「冠」に相当し、朝鮮語の読みはカルkalである。よって「カラ」は弁=カルからきたというものである。

 次に「辺国」説というものがある。辺境の辺はカッkatであるので、国はナラnara、よってkat+naraで「カラ」という読みができたというものである。

 最後の「カン」は干や旱であり、日本語の神と同じく、神・上・曾長・大の義であり、ナラは国の義として、カンナラが「カラ」となるというものである。意味としては「神の国」「大きな国」というものである。

 以上のように「カラ」の語源は様々であり、未だ結論がついていないようである。もし、「辺国」説をとるならば、日本からして「辺国」という意味でこの「カラ」を用いることもできるであろう。この「辺国」という意味がもとになり、日本でも外国の総称を「カラ」とするようになったことが考えられる。三つ目の「カン=神・大」説であるが、日本から見て「神の国」「大きな国」という意味で、朝鮮半島を見つめることがあるであろう。いずれにせよ、「カラ」を用いることで、隣国や周辺国を表すことには支障がないかもしれない。しかしながら、日本でこの語源の意味を分かって使い始めたとは考えられない。

 「カラ」というものは、非常に曖昧かつ、使い勝手のいい言葉であると思われる。

 また、ここに興味深い「カラ」の語源説がある。「伽耶」は「インドのブッダカヤ」(インド、サンスクリット語で、“インドの聖地”のこと)である。それは、金官伽耶の始祖金首露王の結婚相手がインドの阿踰陀(あゆた)国王女であるところから、「カラ」「カヤ」を古代トラビダ語とし、魚を意味するとした。魚は罪を洗い流してくれる信仰の象徴であり、

 それに関連して、「伽耶」という国名は仏教的なもので、仏が聖道したインドのガヤからとってきたもので、「ガヤ」はインドの言葉で「象」または「寺」という意味もあるという。いずれにせよ、「カラ」という語は仏教徒少なからず関連をもっているという説となる。

 このことが正しとしたならば、「カラ」は仏教つまり、日本から見ても外来のものであり、外国の総称として使いやすい。また、「カラ」が仏教的要素をもつならば、インド、中国、朝鮮という地域すべてに関連し、「カラ」が外国の総称となることは考えられそうでもある。

 宣長が「からは、三韓のことにこそあれ、といへるは、中々に誤也」といえることろからみても、単純に「カラ」を朝鮮半島と決めることは慎重にならなければならない。この「カラ」にはやはり、インド、中国、朝鮮半島といった包括的な意味がもともとあったと推測できる。そして、日本以外の諸国を総括しているといえるのではないだろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました